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井椋がっこうの名称の由来

井椋(いぐら)がっこうの井椋とは、花の森こども園の近くにある椋神社、井椋塚に由来します。

当こども園の北側に位置する椋神社は秋の龍勢祭りで有名な神社です。

​また明治17年に起こった秩父事件での困民党の集結場所としても知られています。

明治9年には椋神社境内に椋宮学校(むくみやがっこう)が建築されました。この名称をリスペストして井椋がっこうと名付けました。

井椋塚

   日本武尊東夷征伐のとき「日本武尊当地赤柴にて道に迷われた折、お持ちになった鉾の先から一条の光が走り、その方向に大きな椋の木が立ち、根方の泉近くに猿田彦大神が立たれ、赤井坂に導かれる。

   これにより大勝を得られたので、尊は喜ばれて井泉の辺に鉾を神体として猿田彦大神を祀り給うた。これを当社の創めとする。鉾より光の出たところを光明場(あかしば)という。」

 

※井泉の辺は伊久良と言い、のちに井椋と呼ばれ、現在の井椋塚である。猿田彦命(さるたひこのみこと)と天鈿女命(あまのうずめのみこと)が祀られている。

井椋塚と鈿女桜

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