Vol.19 2019年11月20日発行
究極の贅沢
台風19号の影響により、亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災された方々に対し、お見舞い申し上げます。
そして一日も早く日常生活を取り戻し、安寧が訪れますことをお祈りいたします。
ここ秩父も各地で日常生活を寸断させる事象が起こりました。私の正常バイアスの目を覚ましてくれたのは、子どもたちと魚やエビを採った澄んだ水とは一変し、茶色の猛り狂う怪物となった吉田川でした。
避難所に向かう荷物の中に、ピアノの上の家族写真を一枚リュックに入れました。幸ダムは放流されることなく、日付が変わるころには、雨も止み、風が残る空を見上げると、ぼんやり月も登っていました。地上で人間が右往左往していても自然界は何ひとつ摂理を変えずに、淡々と在るのです。
さて、自助・共助・公助、災害の備えをどうするか?避難はどうするか?避難所の環境はどうしたらよいか?そんな言葉が多く飛び交うようになりました。
しかし、なぜ山は保水力を失くしてしまったのか?なぜ記録を塗り替えるような気候変動が起こるようになったのか?CO2排出とどんな関係があるのか?どうしたらそれを止めることができるのか? その言葉を聞くのも具体的な対策も人々の頭に浮かぶのは、希です。
怒涛の連休週明けに元気な子どもたちと再会できることは、本当は幸せな、贅沢なことだったのです。子ども達の放つ光は強く私たちおとなを動かします。彼らこそが持続のカギを握る天使だからです。台風の後、子ども達と再会を果たした時に、ひとりの子が言いました。「すみれちゃんたち(園の山羊やチャボやうさぎ)がどうしているのかと思ったよ」他者に想いを馳せるこの言葉に、家族の方がどんな風に子供達を守って過ごしたかが伝わってきます。
贅沢とは、金銭の多少は関係ないのです。そんな小さな世界のことをさしていないのだと思います。だから辞書に載っている贅沢の意味はちょっと違うなと私は思うのです。
(国語辞典にケンカを売ってるわけではありません 笑)
2011年の震災から何度となく知らせは届いています。
希には祈りという意味があるそうです。宗教を持たなくても人は祈ります。当たり前のことや、日常の中に類希な贅沢があると知ることは、私達の祈りの向うところを変えることが出来るでしょう。なぜなら私たちが頭に浮かべること、思っていることが現実世界を創っているのですから。
希な贅沢を思い描きましょう。持続可能という究極の贅沢を。